ニーチェ「ツラトゥストラ」
ラを書いた。それは非常に覚悟の行った事だと思
う。その時代はむしろ政府よりも教会が力を持って居た時代だ。ニーチェも悩んだに違いない。またニーチェと言う文学者は在命中余り評価されなかった。それは何故か?ニーチェには「悲劇の誕生」など他にも名作が数多くある。しかしニーチェは誰も理解しがたい事を続ける。それは自分の文学を次の作品で否定する事だった。この事は今でも謎である。普通自分が言った事は理論武装し正しいと固める筈なのだがニーチェはそれをしなかった。むしろ逆の事をした。晩年ニーチェは発狂し精神病院で亡くなる。そして晩年は妹の介護に助けられ余生を精神病院で過ごす。ある時ニーチェの論文を読んだ大学教授が゛天才だ!!”゛ニーチェに逢いたい!”と捜しまくり滔々精神病院まで訪ねて来た。しかしそこには精神を病んだニーチェが居た。文学の事に付いて話を伺いたかったがまともに話が出来なかった。妹は泣いた。「やっと兄を認めてくれる人が表れたのに、もう少し早かったら、、、、」そんな妹を見てニーチェは「何故泣いているんだい?僕はこんなに幸せだよ」と答えた。何故ニーチェは自分の文学を否定したのか?これは私的な考えだがニーチェは自分の文学が進歩して居る
のに気付き、間違いを間違いだと正せる勇気があったのではないでしょうか?そして完璧な文学を目指した。ツラトゥストラの一節にある様に「私の教えが全てでは無い、もっと素晴らしい教えが来たら皆で移ろう」と。ニーチェの死後。このニヒリズムと呼ばれるニーチェ文学は多くの人に認められ、天才だと高く評価されて居る。皆さんはこのニーチェの話を読み何をお感じになったでしようか?
by cyou-jou | 2008-06-05 17:17